千太郎が物思いに耽った場所

 行ってきましたよ。千太郎が物思いに耽っている場所へ。

物思いに耽る千太郎

久米川橋を少し南に行ったところだと思う。

たぶんこの場所

 何気ない1枚だけど、これってむずかしいね。
 千太郎にだけピントを合わせて撮っている。

少しアップにしてみた

 そして千太郎が顔を向けている方向にカメラを向けると……。

千太郎が見た風景

 鉄道橋と新青梅街道のオーバーパスが見える。
 千太郎はこの風景を見ながら何を考えていたのだろうか?

 桜が散ったあとの頃なら、徳江さんを雇うかどうか、考えていたのかな?
 今ぐらいの時期だったとしたら、オーナーに徳江さんを辞めさせろと言われたけど、どうしたものかなぁと考えていたのかな?

 写真を撮りながら、ふとそんなことを考えてしまったよ。





[ 2015/06/10 19:08 ] 「あん」の風景 | TB(-) | CM(0)

もっと知って欲しい「くめがわ電車図書館」

 映画「あん」に登場する「くめがわ電車図書館」。

くめがわ電車図書館

 原作にはないこの図書館が登場したのは、黄色い電車だったからじゃないかなと思う。
 完成披露試写会で観た記憶では、あまり自信はなかったが、私は以前に「黄色い電車」という記事を書いた。

 公開初日にもう一度観て、記事は間違いではなかったと確信した。
 映画に出てくる電車は見事に黄色い電車ばかりだった。
 そして「くめがわ電車図書館」もその1つだ。
 この「くめがわ電車図書館」について、私は以前に「くめがわ電車図書館」という記事で考察している。もしよかったら、読んでみてください。


「くめがわ電車図書館」の成り立ち、そして現在の運営方法などはちょっとユニークだ。「あん」とは直接関係ないけど、こちらの記事を読んで。そうしたをサイドストーリーとして知っておくと、面白いかもしれない。

電車がそのまま街の図書館に! --鉄道ファンが支える「くめがわ電車図書館」







[ 2015/06/01 21:26 ] 「あん」の風景 | TB(-) | CM(0)

徳江さんのやり残したこと

仕事をする徳江さん

「こういう仕事、一度、してみたかったの」

 予告編の53秒あたりから、どら焼きを食べるワカナに徳江さんが、こう話すシーンがある。

ワカナに話しかける徳江さん

 予告編を観た時は、「へぇ、そうなんだ」とサラッと流した気がする。
 そして完成披露試写会で映画を観た時も、割と簡単にこの言葉を聞き流した気がする。
 でも映画を観終えたあと、改めて予告編を観ると、この言葉がズシリと響く。

「こういう仕事、一度、してみたかったの」

 そしてこの映画のキャッチコピーが胸に突き刺さってくる。


やり残したことは、ありませんか?


 そして思う。
 徳江さんは「どら春」で働いたことで、もうやり残したことは、なくなったのかな?
 本当はまだまだ、もっともっと、あったんじゃないかな?
 そう思うと、涙がにじんできて仕方ない。







[ 2015/05/05 20:56 ] 「あん」の風景 | TB(-) | CM(0)

一番遠い場所

 映画「あん」の中で、全生園の納骨堂が出てくる。
 ここには全生園で亡くなった入所者の遺骨が納められている。

納骨堂は奥まったところにある

納骨堂

線香があげられていた

 生きている間は、家族から戸籍を抜かれ、自分も家族に迷惑をかけまいと名前を捨てて仮名で生活した。
 そんな世間との隔絶は死んでからも続く。
 遺骨になっても故郷に帰ることはできなく、仮名のまま葬られ、この納骨堂に納められる。

「倶会一処」の文字

 納骨堂の碑に刻まれた「倶会一処(くえいっしょ)」の文字。
 これは、「この世で同じ運命をともに生きたが、あの世でもまた会いましょう」という意味で、「阿弥陀経」に出てくる言葉だ。

 自分の身内の遺骨をどうして迷惑に思うんだ……そう思う人もいるだろう。しかし、身内にハンセン病がいることを知られたくないと、世間体を重視する人がいるのだ。
 それは昔の話で、今はさすがにないだろう……と思うでしょ。そんなことはないんですよ。

 2008年4月2日、私は「国立ハンセン病資料館」で、多磨全生園入所者自治会の前会長である平沢保治さんの講演を聴いた。
 平沢さんは昭和2年に茨城県古河市に生まれ、14歳の時に母親に連れられて全生園に来たのだという。入所当初は「1年で病気を治して帰る」はずだったのだが、平沢さんは二度と故郷に帰ることはなかった。
 平沢さんは母親が亡くなる時も、亡くなった後も故郷に帰れなかったという。そしてこう話してくれた。

「私はこれまでに11カ国行きましたけど、いまだに故郷には帰れません。一番遠い場所です」

 その後、2008年12月4日、平沢さんは里帰りし、母校の小学校において本名で講演を行った。これまでにも平沢さんは故郷で講演をしたことがあるのだが、その時は必ずペンネームで行っていたという。それは「遺伝病」「業(ごう)病」などといった間違った知識による偏見やいわれのない差別が残っていて、その矛先が故郷に住む親族に及ぶのを恐れたからだ。
 本名で里帰りをしたのは、実に68年ぶりのことだという。
 こういう悲しいことをなくしていくにはどうしたらいいのか? まずは自分自身の中からそういった偏見をなくしていくことから始めるしかないと思います。


尊厳回復の碑






[ 2015/05/04 15:18 ] 「あん」の風景 | TB(-) | CM(0)

徳江さんの名前

予告編のシーン


「私、吉井徳江と言います」

 映画「あん」の予告編は、樹木希林さん演じる徳江さんのこの台詞から始まる。
 この予告編を観た人は、樹木さんが演じている役は「吉井徳江」さんだと認識し、試写会などで映画を観た人もきっとそう思っていることだろう。
 しかし、小説「あん」では、「吉井徳江」という名前に隠された事実が明かされている。
 ハンセン病療養所「天生園」にやってきた千太郎とワカナに対し、徳江さんはこんなことを話している。


「昔はらい病患者が出たとわかったら、残された家族も出ていくしかなかったの。それぐらい周囲から拒絶されて。だから私たちの大半は戸籍から抹消されたままなのよ。吉井徳江という名前は、ここで新しくもらった名前」


 親族にハンセン病患者がいることを知られないよう、家族は戸籍を抜き、療養所に入れられたハンセン病患者は「名前から家族が特定されて迷惑が及ばないように」と本名を捨てる。
 そして、死んでもなお、親族に迷惑がかからないよう、仮名のまま葬式をあげ、療養所内にある納骨堂に納められる。
 ハンセン病患者は生前も、そして死後も世間から隔絶された。
 ハンセン病が治って、「元患者」「回復者」となってからも状況は変わっていない。
 この悲しい事実をぜひ知っておいていただきたい。
 このことについては説明すると長くなるので、また別の機会に書き記そうと思います。






[ 2015/05/03 20:23 ] 「あん」の風景 | TB(-) | CM(0)

千太郎行きつけのそば屋


予告編の1シーン

 以前、このページでも紹介した千太郎の行きつけのそば屋に改めて行って、そばを食べてきました(笑)。

*東村山グルメ日記2「千太郎行きつけのそば屋」

 なぜか千太郎が頼んだものを「天もり」と記憶していて、あとから、みっちゃんに聞くと「天ざる」よと言われガッカリ。
試写会で映画を観ている時は、私設宣伝部長を買って出ようとは考えてなかったから、細部までシッカリ観てなかったんですよね。
 もう一度、映画を観ると、きっといろいろ発見があるんだろうなぁ。すでに映画を観ているというのに、公開が待ち遠しくて仕方ないです(笑)。
 ちなみに前回の記事はこちらです。






[ 2015/05/02 20:34 ] 「あん」の風景 | TB(-) | CM(0)

国立ハンセン病資料館に行こう

 小説「あん」で、千太郎は「国立ハンセン病資料館」に足を運んでいる。

国立ハンセン病資料館

入り口風景

「全生園」の北側に位置する「国立ハンセン病資料館」の入り口横には、母娘遍路像が立っている。

母娘遍路像

像の横にある碑

その側にある解説板にはこう記されている。

像の説明

 空を見上げる二人は、いつか必ず訪れるハンセン病の治る時代の到来を、母娘が共にわが家で暮らせる時代の到来を、じっと目を凝らして見つめているのです。

 そんな切ない像に迎えられて資料館に入った千太郎。家に帰り、床に就いてから、こう振り返っている。

 闇に埋もれていた無数の嘆息。そうとしか言い様がないものとの出会いがそこにはあった。行って良かったのか悪かったのかと問われれば、それはもちろん良かったに決まっている。千太郎は正直にそう思う。その理由をきちんとは語れないにしろ、苦難を生き抜いた人々の証言から、自分はなにかを与えてもらったと強く感じるのだ。だが、それと等しく、目を開こうが閉じようが消えてくれない目眩の種も植え付けられた。

「国立ハンセン病資料館」に行ったことのある人なら、この千太郎の抱いた気持ち、よくわかると思う。
 このゴールデンウィーク、「国立ハンセン病資料館」は5月6日まで休まず開館している。
 常設展示のほかに企画展「この人たちに光を~写真家 趙根在が伝えた入所者の姿~」も開催されているので、あわせて見て欲しいと思う。
 ちなみに「国立ハンセン病資料館」は入館無料です。


企画展のチラシ表

企画展のチラシ裏








[ 2015/05/02 16:36 ] 「あん」の風景 | TB(-) | CM(1)

病気が治っても療養所にいる理由とは

 予告編では、

「知り合いが言うにはね、その人、らいじゃないかって」

と徳江さんが「どら春」で働くことをよしとしないオーナーが出てくる。

徳江さんがらいではないかと話すオーナー

 小説「あん」では、しばらく経ってからまたオーナーがやってきて、千太郎とこんなやり取りをしている。


「でも、奥さんがおっしゃっている意味では…吉井さんはもう、大丈夫です。治ってますから」
「治ってるなら、なんで療養所にいるのよ。どうして放っておくのよ?」
「いや、それは……」
「あんた、確認したの?」
 千太郎は口ごもった。



 なぜ、ハンセン病は治ったのに全生園に入所している人がいるのか?
 小説「あん」の中で、その答えを徳江さんが少しだけ語っている。

療養所での徳江さん

「私たちはようやく、ここから出られる時代がきたけど……それなら故郷に帰れるかというと、それは難しいの。私はもう母も兄も死んでるのね。妹と連絡はとれたんだけど、やっぱり……勘弁してくださいってことで、帰ることはできないの。うちの義明さんも身元の引き受けはなかった。ここに眠る遺骨は全部で四千体以上あってね。法律が変わって、みんな故郷に帰れると思って、一瞬でもそう喜べた時があって。でも、あれから十数年、引き取り手はほとんど現れなかったの。相変わらず世の中は、厳しいねえ」


 ハンセン病に効果のある治療薬が開発され、もう治ったにもかかわらず、らい予防法によって強制隔離され続けた元患者の皆さん。その中に徳江さんもいた。
 そして1996年、らい予防法は廃止された。徳江さんの言う「法律が変わって、みんな故郷に帰れると思って、一瞬でもそう喜べた時があって」とはこの時のことだ。
「法律があるから自分たちは故郷に帰れないんだ」と思い、法律の壁を壊したのだが、次に「偏見」という高い壁が元患者の前に立ちはだかった。
 療養所を出て、働いて自立しようにも、みんな年を取り過ぎてしまっていた。

 なぜ、ハンセン病は治ったのに全生園に入所している人がいるのか?
 それは行き場所がなかったからだ。
 戻れる、帰れると思った場所に受け入れてもらえなかったからだ。

「倶会一処(くえいっしょ)」(多磨全生園患者自治会編)という本の「発刊のことば」にこんな一文がある。


ペストやコレラのように伝染性の強い病気であっても、全治すれば隔離から解放され社会の一員として復帰できるが、ハンセン氏病患者は全治しても、罪人のように潜入する以外に社会に帰ることができないのである。


 国の誤った政策・制度とともに醸成されたハンセン病への偏見。
 中途半端な知識は偏見を助長する。偏見をなくす唯一の方法は、知ること、それも正確に知ることだ。
 ぜひ映画「あん」、小説「あん」をキッカケに、ハンセン病のことを正しく知って欲しいと思う。






[ 2015/05/01 19:42 ] 「あん」の風景 | TB(-) | CM(0)

全生園の柊の垣根

 映画の中で、千太郎とワカナがバスに乗って、徳江さんのいる療養所に向かうシーンがある。
 2人が降りたのは、「全生園南」というバス停。

全生園南のバス停

中への道はトンネルのよう

 見てわかるように、木々がまるで塀のように囲っていて、中へ進む道がまるでトンネルのようになっている。初めて来る人は、少し怖さを感じることだろう。

柊の垣根が続いている

 一番道路沿いの垣根は、柊(ひいらぎ)だ。この柊の垣根は全生園の周りをグルリと囲っている。
 なぜ、柊の垣根なのか?
 小説「あん」の中で千太郎とワカナはこんな会話をしている。


「どこまで行っても垣根だな」
「これ、柊っていうんですよね。尖っている葉っぱ」
「クリスマスにつきものだ」
「これ、患者が脱走しないようにって、いっぱい張り巡らせたんだって」
「昔の話だろう?」
「でも、こうやって残ってるもの」



 柊の垣根は、国の間違った隔離政策の象徴であるとともに、もうハンセン病が完治して大丈夫だというのに、何となく避けてしまう偏見の象徴でもあった。
 でも、柊に罪はない。

 2010年11月3日、全生園の中央集会所で開催された「第18回秋の緑の祭典」で、東村山市内の八坂小学校の子どもたちが「ぼくはヒイラギ~百一年目の思い~」という詩をつくって発表した。
 とてもいい詩なので、ここに掲載させていただく。


「ぼくはヒイラギ~百一年目の思い~」

ぼくはヒイラギ
全生園のヒイラギ
全生園の周りを囲んだ
オリのようなヒイラギ
にげるものにはかみついて
ひっかききずをつくってやった
ぼくはきらわれもの

丘の上から遠くを見ている人がいる
何が見える? 泣いているのか?
外を見せないように
もっともっと高くなろう
丘よりももっと高くなろう
ぼくはきらわれもの

でも
でも
本当は ぼくだってみんなから
愛されたい
本当は ぼくだってみんなに
喜んでもらいたい
ぼくはなみだなんかじゃなく
みんなのえがおがみたいんだ
それが ぼくら緑の役割
地球に生きる緑の役割なんだ

全生園は去年 開園百周年
やっとぼくの願いが かなった
全生園の緑は
全部 全部
人権の森の仲間なんだ
ぼくも人権の森の一員に
やっとなれたんだ

今年は百一年目
不自由な手で植えられた
一本一本の木と
ぼくもやっと仲間になれた
家族と思って植えられた木
自分の子どもと思って植えられた木
みんなのしあわせを願って植えられた木
百一年たった今 みんな仲間になった
これで ぼくも みんなのえがおが見られる

ぼくはヒイラギ
全生園のヒイラギ
人権の森の ヒイラギ



 ハンセン病への偏見がなくなり、柊の垣根が人権の森の象徴となるようにしていきたい。小説「あん」、そして映画「あん」にはその力があると私は信じている。





[ 2015/04/30 20:54 ] 「あん」の風景 | TB(-) | CM(1)

「全生園」は何と読む?

 小説「あん」に出てくるハンセン病療養施設「天生園」。ここがなぜ東村山市にある「全生園」だと言い切れるかというと、小説の中に「国立ハンセン病資料館」という言葉が出てくるからだ。
 この「国立ハンセン病資料館」は全国に1つしかない。だから「国立ハンセン病資料館」のそばにある療養施設は「全生園」と特定できるのだ。

多磨全生園

「全生園」は正確には「国立療養所多磨全生園」という。

 1909(明治42)年に当時の東村山村に「第一区府県立全生病院」としてつくられ、1941(昭和16)年に府県立から国立となり、名称も現在の「多磨全生園」となる。
 ところで、この「全生園」、皆さんは何と読みますか?
 読み方としては、

ぜんせいえん

ぜんしょうえん


の2通りある。さて、どちらでしょうか?
 これ、地元である東村山市に住む人でもよく間違えるんですよね。
前身の「全生病院」が「ぜんせいびょういん」と読んだせいもあり、「ぜんせいえん」と読む人が多いのだが、正しくは「ぜんしょうえん」。
 その証拠に、「全生園」の入り口前の信号に付いている地名表示板には「Zenshoen」とローマ字で読み方が表記されている。

表示板には「Zenshoen」と書いてある

 ぜひ「ぜんしょうえん」という読み方とともに、ハンセン病療養施設「全生園」を覚えて欲しい。







[ 2015/04/30 08:51 ] 「あん」の風景 | TB(-) | CM(0)